特段やることも多くないものの、体か頭かは使った方が良いだろうなということで、図書館で借りてきた本を順次読んでいる。こうやって、日記を書くのもリハビリのようなものである。だんだん、考えていることが文章になるスピードは速くなってきている(昔に戻ってきているだけか?)ように思えて、すこし嬉しい部分がある。
図書館で借りてきた「食」の図書館シリーズの本を嬉々として嫁に見せたら、機嫌が悪かったのか「そんなもの読んでどうするの?」と言われてしまった。どうするのもこうするのもなく、少しでも興味が惹かれるようなものがあれば、知識として吸収することで、なんとなく豊かにはなる。そういうことじゃないだろう、というやつだ。
(まあ、嫁からすれば、そんなものを読む余裕があるなら、子どもの面倒を見てくれ、ということなのだろうけれども。)
そういえば、昨日会った友人も最近何してる?ときいてみたところ、「中東についての本を読んでるかな」と言っていた。たぶん、それも中東について知らないからより知ってみようというだけの態度であって、中東情勢を学ぶことで自分の人生に何かメリットがあったりする、ということではないのだと思う。ぼくの立ち位置も同じで、知らないことを知るのは楽しい、というだけだ。
ただ、考えると精神的に余裕がなくなってくると、即物的な情報というか、直接メリットがある情報を直で接種する方向に走るという傾向はあり、ちょっと前までの自分は、「そんなものを読んでどうするの?」という気持ちがあったような気もする。そう考えると、精神的な重圧がかかったり、望まない仕事をしていたここ数年の間は、自分の人間性のようなものを自分自身で抑えつけてしまっていたのかもしれない。
時間があるので、際限なく読めるような気もしていたけれども、とはいえ、知見のない内容であったりすると、相応に読むのに時間と負荷がかかるようで、一日あたり三、四冊が限度かな、という感じである。一冊あたり一時間ぐらいとすると、まあ妥当なところだろう。
===
というわけで、「食」の図書館シリーズの「コメの歴史」(著レニー・マートン)を読んでいた。著者からわかるとおり、日本国内の米の話ではなく、グローバルなコメの話である。ぼくは大学受験も日本史で、世界史はあまり興味がなく、一気通貫で歴史を追ったことがないので、世界史的な知識を前提にした歴史の話になると、少し頭の中で整理するのに時間がかかる(とはいえ、断片的な知識はたくさんあるので、理解できないというわけはない)。
序盤から「寿司といえばカリフォルニアロール」みたいな言葉も出てくるので、少し心配になる部分もあるものの、後段で日本の米食文化について書いてあるところでは特段誤認がある感じもしないので、作者なりのジョークなのだろう。
本書では、グローバルなコメの歴史、消費のされ方、調理法、文化との関係について、順番に追っていく。ジャポニカ米が世界的に見てメジャーなコメではないということは理解していたけれども、全世界でみたときに、ここまでジャポニカ米がマイナー(生産量で言えば1割程度)であるという認識はなかったので、自分の感覚との乖離感が面白かったし、各国の調理法なども、正直言って食べたいと思うものはほぼないものの、コメをこういう方向で料理するのか…という驚きもあり、面白みがあった。炊飯器は東芝が初めて販売し、保温機能付きのものは三菱電機が初めてで、IH炊飯器は松下電器とか、使えるようで使えない情報を知ることが出来たりもした。
嫁に言われたとおり「そんなものを読んでどうするの?」という範疇以上の何かがあったわけではないけれども、案外知らなかったというか、知る機会のなかったことが多く、面白かった。これが無為な時間なのか、それとも有意義な時間なのかはよくわからないが、Twitterの海を漂ってぼんやりとしているよりは、幾分かましだろう。